前夜祭レポート
2008年5月16日(金)の18時30分より、名古屋錦にある鳥料理「楽(らく)」で前夜祭が開催されました。翌日の総会・認証式を控え来名された江間会長ご夫妻はじめICD本部役員のご夫妻、委員、森山国際会長ご夫妻や韓国、台湾、フィリピンの来賓のご夫妻、そして中部地区実行委員が加わり総勢45名の会となりました。大口中部支部長の挨拶で始まり、須賀フェローの進行で進められ、外山前中部支部長によるお鍋の味噌についての説明もあったり、和気藹々、国際来賓のフェローもとても楽しそうに過ごされていました。
「楽」は歴史あるお店で、特に美味しかったのは名古屋地方で有名な赤味噌をベースとした名古屋コーチンのみを使った鳥鍋でした。もちろん、ささみのお刺身、鳥皮焼き、鳥肝焼きなど誰もが必ず満足な気持ちになれる料理でした。お店はほとんど貸切状態でしたので、おかみさんはてんてこ舞い!お料理が出てくるのが少し遅れてしまいましたが、最後のご飯の上に味噌鍋で煮たきしめんをのせて食べるぶっかけご飯、最高でした。
お腹もいっぱいになったところで、2次会は国際来賓の方も参加し、カラオケを歌いに出かけられ、とてもすばらしい前夜祭となりました。
(青木 宏道 記)
認証式 新フェローレポート
2008年度 ニューフェローになりました七沢久子です。今回、ICDに入会させていただき、ありがとうございました。ICDの入会にあたり、感慨もひとしおでございます。
名古屋の大会では、ガウンを着用し、壇上にのぼり、ICDのバッチをいただき、帽子をかぶりました時の心境を真摯に受け止めております。
1978年に歯科医師の道を歩み始めまして、はや、30年が経過いたしました。歯科衛生士学校の総務、講師に携わりまして、20年ほどになりますが、2007年4月より、山梨県歯科衛生専門学校の校長に任命され、現在に至っております。今後の歯科界の展望は、明るいものと確信しております。
ICDが益々、発展することを、祈念するとともに、ICD日本部会から、世界にむけて発展することを、期待いたします。今回の入会にあたり、ご推薦いただきました、江間誠一郎先生、飯 道先生に心から、感謝申し上げます。また、すばらしい先生方にお目にかかれまして、大変光栄に存じます。これからも、ご指導宜しくお願い申し上げます。
(新フェロー 七沢 久子 記)
特別講演レポート
2008年5月17日(土)ウェスティンナゴヤキャッスルにおいて、講師 徳川美術館名誉副館長 山本 泰一氏に「名古屋城と尾張徳川家」という演題についてご講演して戴きました。講演は、地元の歴史、文化にうとい私においても、分かりやすく、軽快な語り口で歴史の流れを、また、スライドで美術館の宝物を解説戴き、フェローにとって日頃の診療を忘れ、歴史的知識の欲求を充たされ、目の保養となり、素晴らしい特別講演でした。
講演内容は、
尾張徳川家の創成
家康59歳の時の子義直(9男)8歳で尾張に移封
清洲城が居城 3男将軍秀忠、6男(水戸)8男(紀州)9男(尾張)の男しか残らず直系のみ徳川を名乗った。
清洲から名古屋に移転
清洲は、水攻めの恐れや、都市としての発達の余地が無いという事で、織田信長ゆかりの那古野城跡に城を移転。そこは、台地の北西端に位置し水害の恐れが無く、南側は平坦な土地が広がり、家臣や町人用地として利用しやすく、東海道と中山道の両街道に対処できる交通の要衝だった。
慶長15年 |
名古屋城築城開始し豊臣家恩顔の大名たち20名が助役して普請(お金、人夫を負担させる) |
慶長17年 |
天守完成 55.6m 江戸 大阪城に次ぐ規模。 金鯱 慶長大判1940枚貼付けた。 |
慶長19年 |
本丸御殿完成 |
近世を代表する都市が名古屋
首都を移転する為、インフラを全て移転した。6万7千人の住民、寺社、橋名、町名まで移転。
都市計画は家康が策定し、城が一番じゃまにならない場所に置き、碁盤の目の町で、町人重視、商業重視、商人を誘致した。
お城で使った物が、残されているのは、今や尾張徳川家の遺産だけ
- 徳川美術館:尾張徳川家に伝えられて来た大名道具
- 徳川林政史研究所(東京都豊島区目白):尾張家と尾張藩の歴史資料
- 名古屋市篷左文庫:中国や日本の古典籍および地図
- 名古屋城:建物の一部、と広大な跡地。本丸御殿の障壁画が現存
尾張徳川家の遺産はなぜ残ったのか
- 大政奉還と廃藩置県
- 明治4年、大名道具の整理、由緒ある道具や優秀な道具を残す。
- 公益法人化
- 19代義親、昭和6年、財団法人尾張徳川黎明会を創設
昭和10年、徳川美術館開館。日本の博物館界の草分け。
- 第二次世界大戦での奇跡
- 少数の重要な道具のみ疎開。爆弾直撃せず。
政府に供出していた純金道具、日本銀行名古屋市店よりとりもどす。
江戸時代の3割を残す。
徳川美術館の名宝の特色
- 尾張家が徳川時代に、生活のなかで、使用してきた道具を収蔵
- 大名の価値観、美意識による選択、表道具、裏道具、約3万点収蔵。
国宝9件重文57件、重要美術品46件。
- 用いてきた歴史が記録された資料
- 歴代藩主の事跡、先規先例社会
- 保存状態が抜群
- 御小納戸役所の存在。収集、保管、保存、展示を行う。
- 徳川家康の人柄を表す遺品は徳川美術館が一番多く所蔵
- 尾張家初代義直は家康の第九男。元和2年に家康の遺産分け目録『駿府御分物御道具帳』によると尾張・紀伊・水戸の御三家にわける。5・5・3
神様 東照大権現の持ち物が館の中核をなす。
300点/1ヶ月で、年間10回の入れ替えがあり、毎月通っても10年必要です。
国、県、市からの補助は無く、入場料収入のみで運営しています。
皆さん是非ご来館ください。
以上のような内容の講演でした。わずか1時間の講演でしたが、美術館の貴重であまり見ることが出来ない宝物を、スライドで拝見する事もでき、盛りだくさんで、とても有意義な講演でした。
(中部支部フェロー 服部 修 記)
エキスカーションレポート
2008年5月18日(日)
多治見の旅
前日(5月17日)、2008年度第51回ICD日本部会総会、認証式が、ウェスティン ナゴヤ キャッスル(名古屋)で開催され、無事に終了。
翌日のエキスカーションの出席者は、森山国際会長、齋藤日本部会会長、国際来賓をはじめとする総勢50名。
午前8時20分にホテルロビーに集合。出席者が、それぞれに集合。大金誠フェローが、朝食を食べてくる旨を告げられる。そこそこに大金誠フェローが、バスに戻ってみえ、全員集合。時間どおりにバスは8時30分にホテルを出発。
ICD日本部会中部支部、大口弘和支部長の朝の挨拶から、旅は始まった。
本日の名添乗員、水谷忠司フェローより、7年前のエキスカーションの思い出話と本日のエキスカーションの見所、行程の説明。
右手に小牧城を見て、バスは、順調に多治見に向かう。今回、大口弘和フェローの配慮でオリベ研究家、久野治様が同乗。多治見に着くまで約1時間、オリベ焼の話で久野先生のワンマンショー。
多治見市無形文化財保持者、玉置保夫氏の窯元に到着。玉置保夫氏の作品をみんなで拝見。しばらくして伊勢名物、赤福をお茶菓子にお抹茶をいただく。何とそのお茶碗は、後から聞けば何十万円もするそうである。
続いて絵付の体験。絵付の時は、みなさん真剣な顔で苦戦苦闘。絵付の終わった皿を見て、みんなで作品に対して批評合戦。仕事熱心な佐藤まゆみフェローは、皿に第1大臼歯を描写。しかし、歯科医師の専門家がいる前で描いた第1大臼歯にしては少々、幼稚であった。自分の絵皿が、いちばんと思いつつそれぞれの作品の前で全員、記念撮影。3週間後、自分の絵皿が、自宅に届くのも楽しみである。
少しお腹もすいて昼食。昼食は「そば」をいただきました。店内は貸切でそれぞれのテーブルが盛り上がった。食後、オリベストリートを散策。ショッピングを満喫。ショッピング終了後、帰路。中央高速多治見ICから一路、名古屋へ。名古屋駅新幹線口にバスは到着。名古屋駅で解散。今回、エキスカーション初参加の石川達也マスターも笑顔で帰路。参加されたフェロー、フェロー夫人、お疲れ様でした。
(松崎 正信 記)
(写真撮影/広報・編集委員長:鈴木設矢)