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ミセス日本グランプリを受賞して

志田 佐和子

ミセス日本グランプリを受賞の写真

私事ですが、平成21年10月23日、神戸北野クラブSolaにて行われた「ミセス日本グランプリ50代の部」で、幸運にもグランプリを受賞いたしました。当初はさすがに恥ずかしく、ファイナリストになるまでは家族にも内緒。しかし仕事を休んで神戸に行かなくてはならず、その話をしたのが9月半ばのことでした。ですので、この原稿を書いている11月末に至るまでのこの2ヶ月間は、嬉しさ反面、ファイナリスト、受賞、その報道による反響と家族共々その変化に戸惑う日々となりました。

このコンテストは、「アンチエイジングで美しさを保つ一方、食の安全やエコの意識が高いミセスたちこそ社会のリーダーという考えから、阪神間の企業や文化人などによって始まった」(ニュースより抜粋)そうで、今年で第2回目。選考基準は「健康的で知性と優美さを兼ねそなえて芸術・文化にも通じて活動的なライフ・スタイルを持ったミセス。具体的には単なる美しさやパフォーマンスの競演だけではなく、日々の生活から体験した知恵や知識の表現と、社会全体を見通す思考力も選考対象として「環境の保全やエコに関心を持っている」や「動物愛護に関心を持っている」、「文化・芸術に関心を持っている」を重点とする。」(HPより抜粋)ということが概要です。

私がこれを知りましたのは、昨年の今頃で、インターネット上で受賞の3人の方の写真を見たのが最初でした。しばらくしてこの春先、今度はその応募が始まっているということを知り、試しにと思い、必要事項を記入し、写真3枚を添付したメールを送信したのがその始まりとなりました。

その後7月初めに書類選考通過の嬉しい連絡がありました。そして今度は9月4日に行われる東日本予選に行かなければなりませんでしたが、折り良く木曜日の休診日でしたので、それも家族に黙って(友達と食事とうそをつきました)の予選出場となりました。

会場はそれぞれ皆さん自信をお持ちの方ばかり各世代20数名が集まり、まずは応募理由を1分以内で話すということを課せられました。応募総数367名のうちから選ばれた方々ですので、そのプレゼンテーションも皆さんなかなか。勿論容姿も素晴らしい方ばかりです。

実は私の応募理由は本大会の時にもお話したのですが、2つありました。
その1つは11月14日、つまり本大会の3週間後に長男の挙式、披露宴が予定されており、今年は節目の年になり、自分自身を振り返ってみたいと思ったということ。 それからもう1つは、ここ数年、美しい歯、白い歯への関心が高まってきてはいるものの、やはり美肌、あるいはメイク、ファッションなどへの関心に比べるとそれはやや劣ってしまう。
私は歯科医師として自分自身の口腔ケアをしっかりしてきたつもりなので、もし素晴らしいステージに立てるチャンスがあったならば、50代半ばでもこの程度は保つことが出来るということを知っていただき、一人でも多くの方に口元に関心を持っていただくことが出来たならば歯科医師として嬉しく思う。 この2点でした。

私の口腔内は学生時代に入れて頂いたゴールドインレーが6本。その他CR-Fが数本あるだけで、すべて生活歯。さらにホワイトニングもしていますので、唯一自信が持てるのはこの白い歯ということなので、それを応募の理由とした訳です。

東日本予選から10日ほど経ったある日、ファイナリストになったというお知らせが私の携帯電話にメッセージとして入っていました。そこでいよいよ家族にも打ち明け、本大会へ向けての準備となりました。

◆ ◆ ◆

本大会は東日本、西日本予選通過の各世代6名ずつが審査の対照となりました。第1部はタウンウェアで応募理由を述べ、審査員からは社会貢献などについての質問がされます。そして第2部はドレスに着替え、同じく審査員から今度はファッション、美容などについての質問がされるというのが大会の構成です。

第1部で私が受けた質問は「ボランティアとしてどのようなことをやっているか」ということでした。

診療中の写真

実は5年ほど前より、長男が卒業しました神奈川歯科大学同窓会が母体になっているKDC-SAS(Kanagawa Dental College Southeast Asia Support)に参加し、2004年12月に起きたスマトラ沖地震の津波被災地、タイ南部のパンガー県における歯科診療ボランティアを計3年間。また昨年からは場所を移し、バンコク、クロントイ地区のスラム街での歯科検診と、このところ歯科ボランティアが年間の大きな行事と定着し、出来ることなら私のライフワークにしようと思っているところでしたので、そのことについてお話をいたしました。さらにボランティアといっても通常の保険点数から開放され、私の持っている拙い歯科技術で言葉は通じなくても素敵な笑顔を返してもらい、医の原点を自分自身で知ることが出来ること。また同行する日本人ドクター、現地マヒドン大学のドクター、その他現地スタッフとも交流が生まれ、それが財産となっていることなども併せてお話しましたが、振り返ってみますとおそらくこれがグランプリ受賞の大きなポイントとなったと私自身では思っております。

第2部では「どのようにしたら50代まで輝けるのか」という質問でしたが、多くのものに興味を持ち、そしてあきらめないこと。これが私のモットーですので、それを素直にお話いたしました。

リハーサル、着替え、その他待ち時間は長く朝から夕方になるまで長時間に亘る本大会でしたが、審査員の前に立ったのはわずか数分と短く、あれよあれよという間にいよいよ発表のときとなりました。発表は審査の順番通り、50代がトップ。ですので、どきどきする間もなく私の名前が司会者から呼ばれ、正直言って「あっ、私なのだ」と思った程度のとても呆気ない受賞の瞬間でした。しかしその後ティアラをつけていただき、トロフィー、その他賞品目録(パールネックレス、エステ券その他50万円相当の品)を頂いたとき、初めて現実なのだと悟り、さらに受賞式後新聞雑誌のインタビュー、また生まれてこの方初めて経験するフラッシュの嵐を浴び、やっと実感したというのが実情でした。

そんな本大会でしたが、その後インターネットでそのニュースが流れはじめ、また11月2日にはTBSテレビでその模様が放映されると、あちこちからメールやら電話をいただき、さらにその賞の重みを実感したという次第です。11月19日には女性週刊誌「女性セブン」にも掲載され、嬉しさ半分、そして恥ずかしさ半分という思いも致しました。

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新聞記事抜粋の写真

人生って本当に色々なことが起こるものです。だから面白いのでしょうか。今回のグランプリは本当にまさかまさかの展開でしたが、私が今まで様々なことに興味を持ち時間の許す限り、金銭的にも許す限り様々なことを実行してきたこと。そしてそれに対して多少努力をしてきたことなどが認めていただけたものと思い、心底嬉しく思っております。

受賞の際のインタビューで私は次のようなことをお話しました。

ココ・シャネルの言葉に「20歳の顔は自然の贈り物、50歳の顔はあなたの功績よ」とあるようですが、私はそれに更に付け加え「人生最期の顔が私の集大成」それまでこれからもたゆまぬ努力を続けていきたいと思います。…と。

「ここで改めてその言葉を自分に言い聞かせ、努力していきたい」今はそう思っております。
尚、グランプリ運営事務局からの依頼で10月末よりブログを始めました。ミセス日本グランプリHPに私のバナーが張られていますので、PCからはそこから入ることが出来ると思います。
Dr.SAWAKOの美しい歯へのダイアリー
また携帯サイトでも見ることが出来ますので、もしお時間がありましたらアクセスしていただけましたら幸いです。

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