国際歯科学士会
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ICDの概要沿革・歴史

目的綱領定款沿革・歴史 [1] [2] [3] [4]歴代会長三大事業開催地  

  
8.1958年〜1959年
 1958(昭和33)年秋、ADA会長Alstadtがマニラの帰途東京を訪問し、佐藤運雄名誉会員はじめ東京横浜のフェローたちが歓迎の宴を椿山荘で催している。
 この年度に認証を受けた者は記録上、小室史郎、亀沢シズエ、鈴木鶴子、米沢和一、村瀬正雄、富田隆雄、杉山不二、湯浅泰仁、清水平一郎、小林 光、有田正俊、大木忠雄、中村利次、熊谷春雄の14名である。
 翌1959年4月本部次期会長Dr.R.Gordon Agnewが第2回日米親善歯科医学会に招かれた際、4月28日椿山荘で日本部会の実質的発会式が行われた。  その時には米国、タイ、ビルマからの12名のフェローも参加し、米沢・鈴木・亀沢・有田の4名が、Agnew次期会長に認証状を伝達されている写真と、福島初代会長が挨拶している写真がNews Letter May 1960にJapanese Section lnauguratedの見出しで載っている。(この時ガウンを着用しているのはAgnewと山内だけであった。写真1参照)
 すなわち1959年4月28日がICD部会の戸籍上の誕生日であった。現在の日本部会では1957〜60年福島秀策を初代会長として、以下任期2年で1961年2代原田良種、1963年鈴木 勝というように、現21代石川達也会長まで連綿と続いている。(名簿参照)
  
9.1960年代
 1960年代前半には榎本 赳、佐藤貞勝、滝口弘毅、福本春夫、山本為之の各フェロー等、後に役員として活躍するフェローが入会した。因みに筆者は名簿上、1964年第47番目の入会者であった。この頃は毎年数人が入会し、キャップ、ガウンは米国の中古品?を着用して認証の儀式が行われた。  第6代河邊会長の時代、1969年に丁度米国歯科医師会の創立110周年を祝う総会がニューヨークであり、学術会議から日本歯科医師会を代表して国連総会に派遣された河邊先生の所へ、Westerdahl事務局長から電話が入りICDの役員会へ村瀬事務局長ともども招集された。その時の国際理事会でCollege−at−Largeの国際セクションの一つ(No.25)であった日本部会が、自治権を持つAutonomous Section No.6と正式に認められ、河邊会長が国際本部理事に任命されたのであった。
 これ以降日本部会は発展期を迎えることとなる。また年間の行事日程を拡大、充実して行く。
  
10.会員数の推移
 此処で会員の増加率について見てみよう。
 実際、1970年には101名であった会員数は1980年には310名となっており、11年間に毎年、11−13−10−27−35−18−28−22−29−24−26名計233名が増加、その間に逝去者は26名で純増207名となっており、退会者は殆ど無かった。
 次の1980年代は同様に1990年に410名となっており、毎年、16−15−12−16−12−14−17−26−18−28名計158名増加し、逝去者36名、純増122名で退会者が22名とやや増えている。
 最近の6年半では入会者128名、逝去者32名に対して今年9月現在迄で退会者が65名もあり、今年第2回目の慶州国際認証式9名を含めても、会員数はここ数年425名台の足踏み状態である。
 1990年代に入って退会者増と高年齢化に伴って、本会は会員数増加の速度が鈍化した。そこで定款改訂により、新フェロー推薦資格を3年に下げ、入会資格者の年齢を35歳に下げる等の対策を講じている現状である。これは米国をはじめ国際的な現象でもある。

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